枯山水

「枯山水」が作庭上の専門語として、最初に文献上に現れるのは、平安時代に編集された『作庭記』であるといわれています。
池もなく遣水もなき所に、石をたつる事あり。これを枯山水となづく。その枯山水の様は、片山のきし、或野筋などをつくりいでて、それにつきて石をたつるなり。とあり、 それは池泉庭園の一部としてその一画に枯山水石組みをしたものでした。(前期式枯山水
山の斜面のように、水利が悪く、面積も限られた所に、庭を生み出そうとしたとき、必然的に「枯山水」というスタイルが生まれました。

しかし、今日云う「枯山水」式庭園は、室町時代、禅宗寺院の庭を中心に発達を遂げてきました。
かつて禅宗寺院の方丈の南側は儀式をとり行うための、清浄を意味する白砂を敷き詰めた「無塵の庭」でした。
ところが、その後庇のある広縁が儀式の場にとってかわり、さらに進んで室内となったことから、南庭は儀式に用いられなくなりました。
そこで瞑想や座禅の場にふさわしい造景として、「枯山水」というスタイルが発展していきました。

枯山水は、回遊式庭園や露地などの庭園と違い、遊楽・散策などの実用的要素をもちません。屋内から静かにこれに対峙して鑑賞するよう構成されています。
禅は深山幽谷の大自然の中で思惟思索をめぐらし、座禅を行って悟りに至る、自らを変革する自立の宗教です。禅者にとっては、遊興の世界は不要なのです。
白砂の上に大小の自然石を立てたり、据えたり、組み合わせることで、ひとつの観念的世界を創造します。 それは山の峰や、滝が走る渓谷、大河やせせらぎ、ひっそりと静まりかえった海、大海に浮かぶ島々まで、さまざまな風景であったり、または仏教世界観や宇宙観であったりします。 自然と向き合い、自らの存在と一体化することで、無でなければならない自身を見い出す、境地に立とうとする。 それは見えざるものの中にそのものを見、聴こえざるものの中から、そのものを聴くといったところに枯山水の表現が求められたのです。

【 著名な枯山水庭園 】

龍安寺りょうあんじ庭園,大徳寺大仙院だいせんいん庭園,龍源院りゅうげんいん庭園,妙心寺退蔵院たいぞういん庭園,東海庵とうかいあん庭園など。
(前期式枯山水: 天龍寺てんりゅうじ西芳寺さいほうじなど。 )

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【 枯山水庭園の様式的分類 】

平庭式枯山水
ほとんど平らな敷地に造られたもの。
龍安寺方丈南庭(京都市),東海庵書院南庭(京都市),龍源院東滴壺・一枝坦庭園(京都市),大仙院方丈南庭(京都市),雑華院庭園(京都市),円通寺庭園(京都市),大光明寺本堂庭園(京都市),妙蓮寺十六羅漢石庭(京都市),正伝寺方丈前庭園(京都市),金剛峯寺蟠龍庭(和歌山県)など
準平庭式枯山水
平庭式の一部に低い築山などが付属する様式をいう。
大徳寺本坊方丈庭(京都市),聚光院方丈南庭(京都市),普賢寺庭園(光市),祥雲寺庭園(堺市)など
枯池式枯山水
水を用いないで池泉庭園に近い枯池を造ったものをいう。造形的には、池泉といってもおかしくないほどに実際の池と共通している「池泉式枯池」と、それを簡略化して準平庭式枯山水に近い形式とした「象徴式枯池」とがある。
徳島城表御殿庭園(徳島市),青岸寺庭園(滋賀県)など。退蔵院方丈西庭(京都市),曼殊院庭園(京都市),西本願寺対面所庭園(京都市)など
枯流れ式枯山水
水の流れを白砂や小石敷きによって象徴した枯流れを主体とする枯山水をいう。この様式では枯池を造らないのが特色といえる。
大仙院方丈東庭・北庭(京都市),南宗寺庭園(堺市)など
築山式枯山水
築山に傾斜地を生かして枯滝石組や枯流れを造ったものをいう。前期式枯山水とはこの様式で、池泉庭園などの一部として取り込まれたものである。
天龍寺(京都市),西芳寺(京都市)など
特殊形式枯山水
石や水を用いず白砂だけの沙庭など、その他特殊なもの。
銀閣寺の向月台・銀沙灘,東海庵方丈南庭など

【 枯山水の主な構成要素 】

枯山水は、「水を用いないで山水の風景を象徴的に表現した、主として白砂石組みによって構成された庭園」である。 ( 枯山水庭園のなかには、当初白砂を敷いていたが苔が自生し「苔と石組みの庭」になったものや、正伝寺方丈前庭園のように石組みの代わりにツツジ等の刈り込みを使ったものもあります。)

京都の枯山水庭園に見られる白砂は『 白川砂 』と呼ばれ、もともとは比叡山から大文字山に至る山系の花崗岩が風化して川の水で運ばれてきたもので、 昔は主に白川などの川床から採取されていましたが、 白川砂の生産が本格化するのは花崗岩の加工技術が発達した鎌倉時代以降と考えられています。 白川から採取されていた天然の川砂に代わって、石造物の製作にともなう副産物としての石屑が白川砂の主な供給源となったからです。 (江戸時代初期には、この粗粒の採石が白川砂として庭に敷かれていたことが明らかにされている。)
昭和三十年代には原石の花崗岩(白川石)を採掘、工場で破砕して生産されるようになっていきました。 (しかし、現在ではその原石も採石禁止となり、代用の花崗岩を破砕して生産されたものである。)

[ 白川砂の粒度区分 ]
粒度区分粒径使用例
中 豆七分~五分京都御所紫宸殿南庭
大徳寺大仙院石庭
南禅寺金地院枯山水
三分龍安寺方丈南庭
アラコス一分前後上賀茂神社参道
慈照寺参道
コス(ビリ)細粒慈照寺向月台・銀沙灘
詩仙堂庭園
また、同じ白川砂であっても、龍安寺の石庭の白川砂と銀閣寺の向月台・銀沙灘のものとは、粒の大きさが異なります。前者は一般的な三分(約10ミリ)の粒径に対し、後者はより細粒です。
白川砂を他の砂利と比較しての特徴として、やわらかく、不連続粒度である。吸水率が高い。(このことが砂紋のできばえがよい秘密かもしれない。)また、石英質が多いため夜間、月の光に反射してひかることなどがあげられます。
この白砂に描かれる『 砂紋 』という箒目ほうきめのデザインもさざなみ紋,うねり紋,片男波かたおなみ紋,青海波せいかいなみ紋,市松紋,渦紋,渦巻紋,その他様々なものがあり、漣やうねりなどの水景を表現することに役立っています。
この敷砂によって、白という色の対比で石の形状や曲線を鮮明に浮き上がらせる効果があり、また、土埃があがるのを防いだり、雑草が生え難くなる等の実用的効果もあります。

石組みは、その時代背景にもとづいた思想や祈念を表現してきました。 仏教の世界観をテーマに、須弥山、九山八海を石組みで象徴したり、釈迦三尊,阿弥陀三尊,不動三尊などを三石を用いてあらわしたり、 また中国道教の影響を受けて蓬莱山や鶴亀などをかたどった石組が庭に組まれ常世の繁栄や長寿延年を祈念しました。
現代の和風庭園にも、そのような石組の技法は踏襲されていますが、思想的な意味合いは薄れ、もっぱら自然風の佳景を表現するべく組まれることが多い。

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【 関連写真 】

銀閣寺 唐門前の砂紋 銀閣寺 唐門前の砂紋 銀閣寺 銀沙灘と向月台 銀閣寺 銀沙灘と向月台 西本願寺 虎渓の庭 枯滝石組 亀石組 虎渓山永保寺 保壽院庫裡前庭園 亀石組 砂 紋 枯山水蓬莱庭園(北庭) 枯山水蓬莱庭園(北庭)
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【 関連動画 】

砂紋引きの風景

JR東海ウェブサイト「そうだ 京都、行こう。」より引用。
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